東北関東大震災から二日目
食糧不足のニュースを見て、いてもたってもいられなく
今、自分達が出来る範囲の支援物資を車に積み込み早朝仙台へ向かった。
もしかしたら、途中の山道で通行止めになるかもしれない…
それでも行けるところまで行こう!
震災翌日仙台に居る次男から辛うじて電話はつながったもののどんな状況なのか全く分からない。
一日中流れる悲惨な状況のテレビを見て食事も喉を通らない。

ならばこの目で確かめ、子供たちを救出したい!!
その夜、柏崎市内のスーパーへ水・お茶・パン・紙皿・サランラップ・紙コップ・電池・充電器・ホッカイロ・トイレットペーパー・ティッシュ…
すでにスーパーで水・パンが品薄状態
翌早朝コンビニでおにぎりと水を買占めいざ出発~
高速で新潟⇒日本海東北道路で終点の荒川胎内⇒国道113号で山形県南陽市を目指す⇒13号線で上山市⇒山形上山から高速で天童・ここでガソリンを満タンにする(仙台市内ではガソリン入れるのに6時間待ち)天童のスタンドも1時間待ち10リットル限定だったが訳を言って満タンにしてもらう、本当に感謝です⇒48号線で作並温泉を通過して仙台市内へ入る。渋滞の街中を避け市内上部を通過し寮のある多賀城市へ、ここまで7時間かかった。
通常だと高速を通って3時間半、作並温泉近くで地震のため道にひびが入り片側交互、これが大渋滞を引き起こし通過するのに1時間近くロスタイム
いよいよ震災の宮城突入に、不安でドキドキだった。

3年前の中越沖地震で会社から自宅へ戻るときに、ぐにゃぐにゃになった道を通りながらブロックや家が倒壊する地獄絵を見ながら車を走らせた時を思い出していた。
しかし、今回市内の状況はさほど変わってはいなかった。
多少のガラスの割れやひびはあっても多賀城市までの間に倒壊した家は一軒もなかった。道も大丈夫…ただ中心地以外は停電のため信号が機能していないので幹線道路は渋滞、町のスタンドは6時間待ち
信号が機能していないので交差点は写真のように混雑、徐行運転です。
津波で甚大な被害があった海側には行きませんでしたが、ここ多賀城市は仙台港からすぐそば。港のコンビナート火災は3日目もまだ黒い煙を上げていた。
津波の水は数キロ離れた高校のそばまで来ていた。
次男達寮生は震災後、いつでも逃げれるように玄関口に布団を敷き数人固まって不安の真っ暗な寒い夜を過ごしたそうです。自衛隊からの配給は小さなおにぎり一つ、翌日は朝昼でパン一つ…空腹に耐えるしかなかったようで、私達が物資を届けると本当に喜んでくれました。もっともっと買ってくるべきだった…ごめんね
子供たちと再会、見た目はみんな元気だった。でももしかしたら”頑張ってた”のかもしれない。次男と他県の子を乗せて寮を出るときとても切なかった。出来るならばホントみんな連れて行きたかった。ただ、私達が動いた事で、他の保護者の他県の方も迎えに来てくれることになった。乗り合わせて地元へ避難です。
いつ戻ってこれるか分からないまましばらくのお別れです。
次男の寮生の中には自宅が津波に流されてしまった、流されたかも、親と連絡が取れない、そんな不安な子供達もいる。この先いったいどうなるのだろうか?不安で不安でいっぱいだろうが仲間がいるから頑張れる。何と言って声をかけてあがれば良いのか分からずただ、肩をたたき「頑張ろう」と…辛いです。
津波さえ来なければ…
この大地震・大津波で本当にたくさんの命が奪われました。
ご冥福をお祈りいたします。
そして一日も早い復興を祈るばかりです。
今回被災された皆様、本当に頑張ってください!!
仙台を離れ山形県でお腹が空いた子供たちに何が食べたい?って聞くと
「ラーメン」
ラーメン大盛りとチャーハンを美味しそうに食べる姿を見て
強行突破の仙台入りをして本当に良かったぁと思いました。

学校から見たコンビナート火災、昨日はもっと凄かったって!
頑張れ宮城のみなさん、頑張れ東北のみなさん、頑張れ日本!!